*「 幾たびもありがとうと声に出して言いたしと思い今日も日暮れぬ」瞬きの詩人 水野源三作 水野さんは脳性麻痺で口が聞けず、手足も動かない。まばたきでお母さんと会話し詩や短歌を作られた方。 重い病気は家族の負担も大きくなる・・この句から水野さんの家族への介護への感謝と迷惑をかけるつらさに耐える思いがつたわってくる。 水野さんの詩・・・「ありがとう」より ものが言えないわたしは ありがとうの代わりに微笑む 朝から何回も微笑む 苦しいときも悲しいときも 心からほほえむ ふる~るさんのページ 「からだの中に」 からだの中に 深いさけびがあり 口はそれ故につぐまれる からだの中に 明けることのない夜があり 眼はそれ故にみはられる からだの中に ころがってゆく石があり 足はそれ故に立ちどまる コックンさん kusukutu Re:名もない書 名もない花 ・・・・ 野の書 野の花(04/24) コックン4592さん 俳句 うつむいて しろいほほえみ アマドコロ 自由律俳句 泣いてるの? 笑っているの? アマドコロ 即興詩 もう うそはつきません もう つみをかさねません もう あなたをきずつけません もう あなたをはなしません (April 24, 2006 17:08:43) 悔 まゆちんさんのページより 感情の 高ぶるままに 叱かりしが あの子も こころきず つきたらむ 相田みつを 中大兄の三山歌一首 香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき (『万葉集』巻一・一三番歌) 【口語訳】 香具山は、畝傍山を雄々しく思って(または、愛しいと思って)、耳梨山と争った。 神代から、このようであるらしい。 いにしえも、そうであったからこそ、今の世の人も妻を奪い合って争うらしい。 【解説】 香具山・畝傍山・耳梨山を大和三山という。その三山が「妻争い」をしたという伝 承を詠んだ歌である。 第二句「畝傍ををしと」を「畝傍雄々(をを)しと」の意味で解釈すると、畝傍山 の性別が男となり、「畝傍を愛(を)しと」の意味で解釈すると、畝傍山の性別が女 となる。この解釈の相違にもとづいて、 香具山(女)・畝傍山(男)・耳梨山(女) 香具山(女)・畝傍山(男)・耳梨山(男) 香具山(男)・畝傍山(女)・耳梨山(男) の三説があり、現在でも結論が出ていない。 なお、作者の中大兄皇子が、弟である大海人皇子と額田王をめぐって妻争いをした ことと関連させて考える説もある。 ※妻争い……配偶者を求めての争いのこと。 妻(ツマ)とは配偶者の意で、女性だけではなく、男性をさすこともある。 一人の女性をめぐって複数の男性が争うというパターンの方が多いが、一 人の男性をめぐって複数の女性が争うというパターンもある。 逢いにゆく 八十八夜の 雨の坂 藤田湘子作 初夏も近づいた五月、八十八夜の雨の坂道も情緒があります。 この句は心をひとすじに想いを寄せる寄せる人に向けられています。 坂をシューっと一本書きましたのにアレッ消えてしまいました。 恋する人に坂なぞものともしないのでしょう。 そうして、これからも愛を育まれ結婚されるお二人にこの歌を。 祝婚歌 吉野弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目を使わず ゆったりゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい ジャンル別一覧
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